小川 美里

データで判断される事に現実的な不安を抱える

東京都在住の35歳女性。2歳と6歳の子供を育てるワーキングママ。大手の電気通信会社に勤めていて、仕事内容は顧客サービス・サポートチームの後方支援。現在は在宅勤務が8割で、チームメンバーとはTeamsやzoomを使ってコミュニケーションを取っている。

利用しているデータと活用の方法

1年前から人事部主導で、週1回パルスサーベイを実施。リモートワークが広がる中、社員の状態を人事や上司、職場の人たちが理解し、メンタル的な問題があれば、いち早く対処する目的。 小川さんの回答は、今は上司が見ているが、本人が許可をすれば他の人も見られるようになる。 サーベイの質問項目は、業務量の適切さ、仕事のペースの適切さ、人間関係、仕事の満足度、睡眠食事の状態について。これらに、4段階(晴れ・曇り・雨・大雨)でシステムに入力することで回答する。 勤怠管理にGPSを用いるサービスを使っている。打刻時に位置情報が表示される。管理者からは常に位置情報が見られる状態。

データ利活用にまつわる体験や考え

人は元々、自分の状態やニュアンスを伝えたり、相手の状況を包括的に理解する術を持つが、データだとそのようなコミュニケーションを自然に行えない:「今、下の子供がイヤイヤ期で、 仕事との切り替えがうまくいかずストレスを感じる。パルスサーベイで聞かれる仕事の満足度や業務量のような、当たり障りのないことより、今現実として起きている苦労を上司や周りの人たちにわかってもらいたい。対面で仕事をしていたときには、それが伝わりやすかったのに。」

データの背景にもっと言いたいことやニュアンスが含まれる: 「最近上司が変わった。出社組は、上司と現場でよくコミュニケーションが取れているけど、私は在宅なので疎外感を感じることがあります。でもパルスサーベイや健康データや位置情報ではその感情は伝えられない。上司にこのことを話して1対1でZoom で話す時間を定期的に作ってもらいました。いくらいろんなデータがあっても、結局面と向かって話さないと、いろんな誤解がとけないと思います。」

他人のデータはつい見てしまうが、変な妄想が広がるので見ないようにしている。それもストレス:「締日に勤怠システムに 打刻漏れがあると、いつ誰に打刻漏れがあるかわかる画面のスクリーンショットが添付されたメールが、管理者からチームに 一斉に送られる。全員の勤務状況が見えるので、他の人の残業 状況を見てしまう。こんなに残業してるんだ、この人昇進を狙っているのかなと妄想してしまう。見ないようにするのもストレスを感じる。」

位置情報の流出に対する恐れ:「位置情報がいつの間にか流出してて、不動産や投資の営業に使われたら嫌ですね」

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事実はどこに

先日、ママ友の佐々木さんが昇進した。
彼女は私と同じ会社で働いていて、日頃の子育ての悩みをお互いに共有できるありがたい存在だ。
あの忙しさで昇進できるなんて、一体彼女はいつ仕事の時間をとっていたのだろうか。
まさか‥‥‥
今の時代個人データが自由に売り買いできる。もしかしたら佐々木さんは誰かのデータを購入し、自分のものとして提出していたんじゃないだろうか?

私は彼女の人柄を知っている。彼女は面倒見が良く、私の相談も親身になって聞いてくれる姉御肌な人だ。決して偽造データを渡すだなんて卑怯なことはしないはず。
しかし、私は同僚を通じて彼女のデータ取引についての噂をたびたび聞いていたのだ。

私の会社ではパルスサーベイを実施しており、4段階評価でシステムに入力し社員の状態を把握している。勤務状況もその中に含まれていて、基本的にデータ内容は人事や上司が見ることができる。同僚から聞いた話によると、先月勤怠システムの打刻漏れがあったとき全員の勤務状況が含まれた画面のスクリーンショットが全員に送られ、その時見えた佐々木さんの勤務状況が残業も多く、目を疑ったというのだ。

私と同じような状況で彼女がそれほど仕事に費やせる時間が取れていることがどうも納得いかない。この前聞いた話では家庭のストレスで仕事に集中できないと愚痴をこぼしていたじゃないか。これを根も葉もない妄想だと言い切れるだろうか。私の勤務時間は佐々木さんより少ないかもしれないが、仕事の効率を考えながら成果をあげているのにこの仕打ちはいくらなんでも悔しい。

誰もがデータの出所を確認する術もなく、評価し、そのデータに翻弄されてしまうのだろうか。彼女の勤務時間が異常だとなぜ上司は気づかない?彼女の話を聞けば無茶というか、偽造だとすぐに分かるものじゃないか。これもデータ依存の副作用か。誰もデータを疑おうとしない。もし、このまま何もかもがデータで評価されてしまうのなら、より良いデータを提出することに注力する事態になってしまう。データさえ入手すれば、それが功績になるなんて私は人をどう信じたらいいのか。仕事の目的も友人も失いそうだ。

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shortshort21

ただしい評価

 「おはよう、母さん。今日は大事な会議だけど、資料はちゃんと用意してくれたの?」
 去年から私の上司になった息子が朝食を摂りながら声を掛けてきた。
「ええ、営業報告書ね。ちゃんと用意したから大丈夫。」
 答えながら、年齢や見た目ではなく「精神年齢」で人間の価値が決まるようになったのは何十年前のことだったかしら、と思い返してみる。「データの活用が進み、同一人物の古いデータと最新のデータを比較することで我々は“精神の成長”を可視化することが可能になりました。精神の成長速度や成熟度合いによって柔軟に評価される素晴らしい時代が来たのです!」と、当時の政治家が意気揚々と語っていたっけ。「AIが算出した個々人の“精神年齢”で評価される」とかなんとか。それまでは、入社年数や実績で決まっていた昇進や異動が、普段の行動やアンケートの内容で決まると聞いた時はずいぶん焦って、高く評価されるように背伸びした答えを書いてたなぁ。でも、そんな“お化粧”もAIにはバレバレで、「この人はデータを誤魔化す程度の精神年齢だ。」と判断されてかえって評価が悪くなることを知ってからは、もう自分を良く見せようとするのを諦めちゃった。
「努力を諦めてみると案外楽だったけどね。」
 そう呟いてふふっと笑うと、息子に怪訝そうな顔をされた。
「母さん、何の話してるの?とりあえず今日の会議ではよろしくね。母さんが営業を担当している精神年齢40代の顧客はうちの会社にとってもメインの顧客層だからさ。」

 「精神年齢評価制度」が導入されてから社内の様子は随分変わった。まず「精神年齢40の顧客には精神年齢40の社員、20の顧客には20の社員」というように「顧客と営業担当の社員の精神年齢を合わせるべき」という考えのもと、私はサポートチームから営業職へ異動になった。それから、「精神的に成熟しているものは評価すべき」という風潮により、社員の実年齢と役職があべこべな感じになってしまった。「精神年功序列」とでも言うべきか、私の息子は21歳にして、精神年齢55と評価され、今や立派に私の上司をしている。母として嬉しい反面、社会人としてはプライドが傷つく……なんて言ってたら、またAIに精神年齢下げられちゃうかも、やめとこ。でも、本当に息子がいきいきと働いているのは喜ばしいことなのだ。見た目にコンプレックスのあった息子は中学生の頃「顔採用」という言葉を知って不安そうにしていたけれど、内面が評価される現代ではそんなものはない。「ルッキズム」という言葉も随分前に聞かなくなった。今は「メンタリズム」という言葉が取り沙汰され、日々議論が行われている。ありのままの自分の内面が評価されるということには、シビアな現実もつきまとうとニュースで報じていた。精神年齢が低いと評価された「精神年齢弱者」と呼ばれる人たちの反発の色は日々強まる一方で、クーデターも起きているらしいが、クーデターを起こせば起こすほど、精神年齢は低く評価されてしまう、とのことだった。

 「そろそろ、あなたもご飯食べたらー?」
 今年、17歳になる中学生の娘の部屋に声をかける。娘は日々勉強に励んでいるものの、精神年齢が卒業レベルに満たないということで、今年も去年に続き留年してしまった。
 彼女は今日も朝から「精神年齢向上スクール」の課題に励んでいるらしかった。頑張っている娘が報われないことは、親としても本当に辛い。「精神年齢評価制度」は本当に正しいものなのだろうか…?………………いけない、こんなことを考えていたらまた精神年齢が下がっちゃうわ…。

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データのお化粧を見破られないようにする人たち

 最近、メンタル不調から復帰したメンバーが入った。どうしても先入観をもってしまい、気を使ったり、仕事を振れなかったりする。
そんなこともあり、自分は先入観を持たれないようにしようと思っている。あぁ、今日もまた、気持ちとは裏腹に、元気に見えるよう、仕事も順調っぽくなるよう、パルスサーベイで晴れマークをつけてしまった。

 そんなある日、一通の通知書がきた。先日、心身の疲れからお腹が痛くなり、内科に通ったようだが、パルスサーベイの結果と違うからデータをお化粧せずに正しく報告せよ、という内容であった。次、もしお化粧すると、偽造罪になると書かれてある。急に怖くなった。

 本当は2人目の子育てのつらさや、仕事の苦労から精神的にも鬱々しており、病院に行った方がいいと思う。でも、だからといってパルスサーベイで正しく雨マークにつけたら仕事の不利にならないかと、心配になってしまう。

 このモヤモヤした気持ちをママ友に話したところ、偽造罪とAIに判別されないよう、うまいこと診断書を書いてくれる病院があるよと、紹介してくれた。つい先日、彼女もその病院に行ったらしい。私も行ってみようと思う。

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上司はつらいよ

従来から導入されていたパルスサーベイの真正性に疑問をもった海野社長は、法律の改正にともない経営コンサルタントから推奨されたAIによる虚偽入力発見ツールの導入を決断し、虚偽が発覚した場合には罰則を与える(減俸、勤務評価を下げる)との通知を全社にアナウンスした。
部長の高本氏には、20人の部員があり、部長として部下のパルスサーベリの入力内容の真正性を定期的にチェックすることが要求されるようになった。研修では、部下の虚偽入力を見抜くやり方を受講し、またAIツールにより内容の矛盾を検出する機能が追加されてアラートのでた部下を個別面談・指導することが求められるようになった。
部下の小川さんは、前に導入されたパルスサーベイでは、本心とはことなる内容を入力して、上司に目を向けてほしい時にはわざと「雨」や「曇」を入力することがよくあった。今回の通達により、不安もあったが、以前、高本部長との宴席で、「私は吸い上げるだけで内容など見ない」との話があったため、従来通りお化粧をした入力を続けていた。

ある日、高本部長のモニタに小川さんに虚偽入力の可能性があるとのアラートがあがり、人事部からの通達により、高本部長は小川さんと個人面談をして報告書を提出することが求められた。高本部長は小川さんと面談の場を持ち、今後はお化粧しないことの指導を行い、報告書の提出を行った。 その後、小川さんには、入力時に、虚偽入力のアラートが頻繁にでるようになった。不安をもった小川さんは労働組合に相談したところ、おなじようなクレームがたくさん上がっていることを知った。同じような経験をしている組合員と話し合いの場をもつことで、上司と会社に対する不信感が高まっていった。

一部メンバーが労働基準管理局に組織によるパワハラとの訴え起こすことになった。高本部長は、こうした動きを人事部門から聞き、小川さんら現場社員との面談を何度となく行うことになった。社員からは会社は俺たちを信頼していないのか、個別指導はパワハラだとの声があがり、会社からは厳格な指導・対応が求められた。人情派の高本部長は、現場と本社の板挟みとなり、メンタル面での体調を崩していった。

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データなんて怖くない

海野社長の決断により様々なデータから社員スコアを図るシステムが2024年に導入されてから一年が経過した。従来から健康ポイントにより賞与加算が行わせていたが、データにより職員の働きぶりも評価され、給与や昇進にも反映される仕組みだ。
大津さんは、本システムの導入を喜び、日々の活動によりスコアが上昇し、社内でもトップレベルであることに誇りと喜びを感じていた。来年30になる大津さんは、高本部長から来年は課長に昇進する可能性が高いことを聴き、ますます業務を熱心にこなしていた。

30歳の誕生日を迎えたころ、チームリーダーになった大津さんは、半年にわたる大型案件の最終納品と次期案件の準備が重なり、多忙を極めていた。最終納品のあと複数の関係部署や取引先との打ち上げ会が続くと体調の不調を感じるようになった。気が付くと、体中にむくみを感じ、体重が急激に増加していることが分かった。異常を感じた大津さんは○○症候群と診断され1カ月の入院治療を行うことになった。
退院した大津さんは、勤務を再開したが、職場は長期入院した大津さんに気を遣うようになった。大津さんも、昔のように働くことに不安を覚えるようになっていった。気がつくと大津さんの社員スコアがかなりダウンしていることに気が付いた。

一年後、高本部長から、同僚の小川さんが課長に昇進するとの話を聞いた。小川さんは先輩ではあるが、内気で前は社員スコアも自分より低く、当然自分が先に昇進すると思っていた。確認してみると、現在は小川さんのほうが自分よりもスコアが高かった。
大津さんは、スコアの計算方法に疑問をもち、どのような基準でスコアを計算するのかを人事部門に尋ねたが、AIが計算しているとの話だけで納得のできる説明は得られなかった。
大津さんの社員スコアは、その後、徐々に低下していった。1年後、大津さんは社員スコアを導入していない会社に再就職をした。

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悟りを開く人々

2030年に日本の貧困層2000万人を主な対象として施行された「データを対価とするベーシックインカム法」、通称デベ法は一定の成果を上げ、社会保障費の大幅な削減、データを活用した様々なビジネスの興隆により、日本は再び成長局面に入ろうとしていた。
もう2年以上デベ民をしている戸田さんは、最近AIによる低評価を食らってデベ民となったパートナーの小川さんを慰めていた。

戸田  元気だせよ。ゆっくり英気を養って出直せばいいじゃん。好景気なんだし。

小川  そんなこと言って、あんたはもう2年もデバ民じゃない。危機感が足りないのよ。

戸田  危機感て…、別に税金を無駄に使う立場になった訳じゃないんだし。むしろ、色んな企業のサービスのトライアルユーザとしてデータを提供できるんだからさ。我々が産業を支えてるんだぜ。

小川  私はね、何かを生み出したいのよ。あてがわれるものを消費するだけなのは嫌なの!そもそも、みんながデベ民になっちゃったら、国がつぶれちゃうじゃない。

戸田  人間は生きているだけで価値があるんだって誰かが言ってたよ。おれだって、おれが居なかったら生み出せないデータを生み出せてるんだよ。

小川  データの生成が価値ってどういう人生よ。AIに奉仕してるだけじゃない。

戸田  いや、AIを通してみんなに貢献してるってことなんじゃないかな。そして、その貢献をしたおれににみんなが返してくれてるっていう...

小川  訳が分からないわ!そんな、へびが自分の尻尾を食べるような話が続く筈がないじゃない。

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